anomiaがこんなな理由
最近よく質問されること。
「どういう発想でそういう音楽やっているんですか?」という問いかけ。
そんなに奇抜なスタイルではなく、少し珍しいかも、ってくらいのつもりなんだけどね。
いろいろ小さい要素が積もり積もっての結果だから一言で言い表すのは難しいんだよね。
だから思いつくまま書いてみようかなって思った。
ポイントを挙げると、
ZOEAの活動
今沢カゲロウを観て6弦ベースを買う
ベースの可能性
それとREESEDの失速も関係あるかな
そもそもの始まりは、以前付き合っていた彼女が俺と一緒にバンドやりたいって言ったことだった。
彼女もベーシストでね、他にはキーボードを少々。
俺はREESEDがまだあって、バンドってものは続けていくのが難しいな、と思ってた頃。
まずは普通のバンド形態じゃなく、二人で打ち込みで音源を作る活動はどうだろう、と提案したんだと思う。
ユニット名を考えたり、CDRのジャケを相談したり、何か始まるときは楽しいよね。
それぞれ4曲ずつ持ち寄って8曲入りの音源を作った。
ZOEAの「Slow reacting substance of anaphylaxis」
50枚とか作っただろうか、これが一部で好評でいくつかイベントのお誘いを頂いたりした。
でも打ち込みだけで演奏してないからね、DJとかよくわかんないし。
本番までの時間に余裕があって熱心に誘ってくれた人がいたから、その誘いだけ受けてそれに向けて曲を作り始めた。
その1曲目に形ができたのが「Ki-so」という曲。
この曲で初めてタッピングした(ヤマハのオレンジ)。
彼女に聞かせたらなかなか好感触で。
でも初めてだったので、3拍子だったフレーズを4拍子に直したりして、とにかく分かりやすさを意識した。
そんなこんなでどうにか4曲作り、ZOEAとしてライブハウスデビュー(先に友達の結婚式で演奏したがスタイルが違った)。
俺はずっとベースをタッピング、彼女はキーボードで曲によってはベースを弾いてツインベース状態になったり。
見た目は今より全然イケてたと思う(笑)。
音源も作った、「Highly activeantiretroviral therapy」
ジャンク(現ゴールデンピッグス)のカウントダウンイベントに2年連続で出て、その後彼女にフラれる。
一人になってから、いつか曲を作って一人でも演奏できるようにしたいと思ってた。
人が多く関わるほど小回りが利かなくなる。
それは仕方ないことなんだけど、もっともっとという飢えがあったので。
そうはいっても失恋の傷はなかなか深く、一向に曲が書けない。
実際、2,3年の記憶があやふやなんだよな。
しかし、いよいよやらねば、と頑張って2011年末のゴールデンピッグスのカウントダウンで初ライブ、と。
ここからは昔の日記を読んでもらうとして。
今沢カゲロウについて。
練習スタジオに単色のポスターが貼ってあった。
ベースニンジャ、今沢カゲロウ、超絶ベース、みたいなことが書いてあったと思う。
当時まだ20代の俺は、なんかベースに行き詰まってて、でもベースの自信だけはバリバリにあって。
今沢カゲロウって全然知らなかったけど何故かウッディーへ一人で行った。
6枚目のアルバムを出したばかりのカゲロウはとにかく凄かった。
指弾きでの速弾きは目の前で見てても信じられないスピード。
ループを使っての一人アンサンブルも驚いたけど、最初の衝撃はスピードだったな。
インド音階とか使ったり、とにかく圧倒された。
それからほぼ毎年観てるんだけど、最初の3年くらいは悔しくて悔しくて、ウッディーへ行くのがストレスなんだけど、行かないと気がすまない、みたいな。
たしか最初にカゲロウを観てすぐ6弦を買ったと思う。
以前から興味はあったんだけど、カゲロウのライブが決定打。
ヤマハのジョン・パティトゥッチモデルのオレンジ、中古。
後にカゲロウさんに話す機会があったんだが、ムーンじゃなかったのが申し訳なかったな(笑)。
そして当時、新宿駅だかの前でアニゾーだったかという人が路上で6弦ベースをタッピングしている、という記事を読んだ。
それはすごい、どういう演奏をしているのかいつか観てみたいと思いながら観ないまま想像してた。
だから俺も古町で演奏してみた。
ただ、普通に指弾きでジャズのスタンダードをやったんだけど。
ベースの可能性は無限だと思ってる。
よくベースに限界をかんじたからとギターを弾く人がいるけど、俺は全く別物だと思うんだよね。
ギターでしか表現できない音があるのもわかるが、それはギターの音色ってことで。
同じくベースにしか出せない音もあるわけで。
技術的にギターにできてベースでできないことって、そうはないと思うんだよね(ギターに疎いので断言はできない(笑))。
ただ、バンドの中でベースに求められるものってとても保守的だと思う。
もっと自由にさせてくれてもいいんじゃないかな。
そしてベーシストはもっと自由な発想でアプローチすべきだと思う。
俺のやっていることは新しいことではなく、これからの人に何かヒントになったらいいかな、ってくらいのことで。
なんだかだらだらと書いてきたけど、まあこういういろいろで今のスタイルになりました。
一人でステージに立つなら妥当なかんじかと思うけど。
それと、テクノとかハウスとか全然わかってなくて、普段も全然聴かない。
インダストリアルくらいかな、根がメタル者なので。
自分がなんという音楽をやっているのかわからない。
だから「あれはドラムンベースなんですか?」とか聞かれても知らないから、いやマジで。
知らないから自由にリズムトラックを作れてるんじゃないかとも思ってるので、これからもこの辺のことは勉強しないつもり(笑)。
まあこんなかんじですが、ひとつよろしく。
「どういう発想でそういう音楽やっているんですか?」という問いかけ。
そんなに奇抜なスタイルではなく、少し珍しいかも、ってくらいのつもりなんだけどね。
いろいろ小さい要素が積もり積もっての結果だから一言で言い表すのは難しいんだよね。
だから思いつくまま書いてみようかなって思った。
ポイントを挙げると、
ZOEAの活動
今沢カゲロウを観て6弦ベースを買う
ベースの可能性
それとREESEDの失速も関係あるかな
そもそもの始まりは、以前付き合っていた彼女が俺と一緒にバンドやりたいって言ったことだった。
彼女もベーシストでね、他にはキーボードを少々。
俺はREESEDがまだあって、バンドってものは続けていくのが難しいな、と思ってた頃。
まずは普通のバンド形態じゃなく、二人で打ち込みで音源を作る活動はどうだろう、と提案したんだと思う。
ユニット名を考えたり、CDRのジャケを相談したり、何か始まるときは楽しいよね。
それぞれ4曲ずつ持ち寄って8曲入りの音源を作った。
ZOEAの「Slow reacting substance of anaphylaxis」
50枚とか作っただろうか、これが一部で好評でいくつかイベントのお誘いを頂いたりした。
でも打ち込みだけで演奏してないからね、DJとかよくわかんないし。
本番までの時間に余裕があって熱心に誘ってくれた人がいたから、その誘いだけ受けてそれに向けて曲を作り始めた。
その1曲目に形ができたのが「Ki-so」という曲。
この曲で初めてタッピングした(ヤマハのオレンジ)。
彼女に聞かせたらなかなか好感触で。
でも初めてだったので、3拍子だったフレーズを4拍子に直したりして、とにかく分かりやすさを意識した。
そんなこんなでどうにか4曲作り、ZOEAとしてライブハウスデビュー(先に友達の結婚式で演奏したがスタイルが違った)。
俺はずっとベースをタッピング、彼女はキーボードで曲によってはベースを弾いてツインベース状態になったり。
見た目は今より全然イケてたと思う(笑)。
音源も作った、「Highly activeantiretroviral therapy」
ジャンク(現ゴールデンピッグス)のカウントダウンイベントに2年連続で出て、その後彼女にフラれる。
一人になってから、いつか曲を作って一人でも演奏できるようにしたいと思ってた。
人が多く関わるほど小回りが利かなくなる。
それは仕方ないことなんだけど、もっともっとという飢えがあったので。
そうはいっても失恋の傷はなかなか深く、一向に曲が書けない。
実際、2,3年の記憶があやふやなんだよな。
しかし、いよいよやらねば、と頑張って2011年末のゴールデンピッグスのカウントダウンで初ライブ、と。
ここからは昔の日記を読んでもらうとして。
今沢カゲロウについて。
練習スタジオに単色のポスターが貼ってあった。
ベースニンジャ、今沢カゲロウ、超絶ベース、みたいなことが書いてあったと思う。
当時まだ20代の俺は、なんかベースに行き詰まってて、でもベースの自信だけはバリバリにあって。
今沢カゲロウって全然知らなかったけど何故かウッディーへ一人で行った。
6枚目のアルバムを出したばかりのカゲロウはとにかく凄かった。
指弾きでの速弾きは目の前で見てても信じられないスピード。
ループを使っての一人アンサンブルも驚いたけど、最初の衝撃はスピードだったな。
インド音階とか使ったり、とにかく圧倒された。
それからほぼ毎年観てるんだけど、最初の3年くらいは悔しくて悔しくて、ウッディーへ行くのがストレスなんだけど、行かないと気がすまない、みたいな。
たしか最初にカゲロウを観てすぐ6弦を買ったと思う。
以前から興味はあったんだけど、カゲロウのライブが決定打。
ヤマハのジョン・パティトゥッチモデルのオレンジ、中古。
後にカゲロウさんに話す機会があったんだが、ムーンじゃなかったのが申し訳なかったな(笑)。
そして当時、新宿駅だかの前でアニゾーだったかという人が路上で6弦ベースをタッピングしている、という記事を読んだ。
それはすごい、どういう演奏をしているのかいつか観てみたいと思いながら観ないまま想像してた。
だから俺も古町で演奏してみた。
ただ、普通に指弾きでジャズのスタンダードをやったんだけど。
ベースの可能性は無限だと思ってる。
よくベースに限界をかんじたからとギターを弾く人がいるけど、俺は全く別物だと思うんだよね。
ギターでしか表現できない音があるのもわかるが、それはギターの音色ってことで。
同じくベースにしか出せない音もあるわけで。
技術的にギターにできてベースでできないことって、そうはないと思うんだよね(ギターに疎いので断言はできない(笑))。
ただ、バンドの中でベースに求められるものってとても保守的だと思う。
もっと自由にさせてくれてもいいんじゃないかな。
そしてベーシストはもっと自由な発想でアプローチすべきだと思う。
俺のやっていることは新しいことではなく、これからの人に何かヒントになったらいいかな、ってくらいのことで。
なんだかだらだらと書いてきたけど、まあこういういろいろで今のスタイルになりました。
一人でステージに立つなら妥当なかんじかと思うけど。
それと、テクノとかハウスとか全然わかってなくて、普段も全然聴かない。
インダストリアルくらいかな、根がメタル者なので。
自分がなんという音楽をやっているのかわからない。
だから「あれはドラムンベースなんですか?」とか聞かれても知らないから、いやマジで。
知らないから自由にリズムトラックを作れてるんじゃないかとも思ってるので、これからもこの辺のことは勉強しないつもり(笑)。
まあこんなかんじですが、ひとつよろしく。
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