言葉
きっと彼は「言葉を大切にしなさい」という者の浅はかさ、そこから派生することで生ずるであろう矛盾を感じるから怒っているんだと思う。
本当に言葉を大切に考えている人は「言葉を大切にしなさい」というわけがないんだ。
禅問答のように突き詰めた先なら有り得るかな、もしくは10歳までの子供に言うなら。
相手がそこまでの哲学を持って発言していると感じられなければ、やはり傲慢だと思うし、あまりに浅はかだ。
違ってたらごめんね。
続けます。
これから先は君に言うことでもないんだが。
言ったことや書いたことが相手に伝わらないことは多々ある。
どう読んでも誤解のしようのない文章を書いたつもりでも。
そういうときは気が遠くなる。
本当に今現在と相互理解までの長い道のりをイメージする。
そして疲れる、あまりの手順の多さに。
それでも頑張るかどうかは相手への興味の度合いによるんだけど。
本当にどうしても無理な場合もあるけどね、俺よりカウンセラーと話さないと、って人もいるし。
んー、話がずれてるな。
「言葉を大切にする人」と「言葉を大切にしなさい、と人に要求する人」では全く違う。
言葉を間違っても、まあいいと思ってる。
時代とともに変化していくものだしね。
そして間違った言葉を使ってる人のことを考えて指摘するなら、きっと愛情も伝わるから大丈夫だと思う。
それを揚げ足を取るように指摘するようでは言葉を大切にするかどうか以前に人間性に問題がある。
だからそんなのは相手にする必要がないんだ。
そして言葉はやはり何も伝えられない。
このままじゃなんなんで、言葉の良い話も。
奇跡のような会話を体験したことがある。
普通に話をしていたんだけど、いつの間にかダブルミーニングになっていて、そのまま破綻なく会話が続くという。
どちらともなく少しづつ意味が重なっていって、お互い気付いているんだけど会話を止めることなく、2重の意味を保ったまま続いていく。
しばらく話してから「今の会話、すごかったね」と2人で喜ぶという、ね。
きっとお互いの趣味趣向や言葉の理解度が丁度釣り合ったんだと思うけど。
ああいう会話は5回くらいあったかな。
いや、2,3回、、、。
1度はあった、確実に(笑)。
もしかしたら俺以外の人は日常的に体験しているかもしれない、そしたら随分マヌケな文章を書いているわけだけど。
でもあの時の喜びは今でも覚えてる。
きっと脳内麻薬がビュービュー出まくってたに違いない。
こんな会話ができるなら長生きもしてみるもんだなと思った。
言葉自体にパワーはない。
しかしそれを使う人によっては美しく光り輝く場合があるんだ。
だから言葉の可能性を諦めないでほしい。
もう少し。
突き詰めれば人と人は理解しあえないと思う。
でも初めから諦めるのは違うと思う。
時には空しくなるし悲しくもなるが、それでも理解しようと努めること。
それがあらゆるポジティブなものに繋がっているんじゃないかと思うんだよね。
世界平和もこういうところからだと思うんだけど。
相手を想って指摘すれば。
揚げ足をとるのではなくて。
自己利益のためではなく、真実、もしくは相手の想いを汲み取るように。
本当に言葉を大切に考えている人は「言葉を大切にしなさい」というわけがないんだ。
禅問答のように突き詰めた先なら有り得るかな、もしくは10歳までの子供に言うなら。
相手がそこまでの哲学を持って発言していると感じられなければ、やはり傲慢だと思うし、あまりに浅はかだ。
違ってたらごめんね。
続けます。
これから先は君に言うことでもないんだが。
言ったことや書いたことが相手に伝わらないことは多々ある。
どう読んでも誤解のしようのない文章を書いたつもりでも。
そういうときは気が遠くなる。
本当に今現在と相互理解までの長い道のりをイメージする。
そして疲れる、あまりの手順の多さに。
それでも頑張るかどうかは相手への興味の度合いによるんだけど。
本当にどうしても無理な場合もあるけどね、俺よりカウンセラーと話さないと、って人もいるし。
んー、話がずれてるな。
「言葉を大切にする人」と「言葉を大切にしなさい、と人に要求する人」では全く違う。
言葉を間違っても、まあいいと思ってる。
時代とともに変化していくものだしね。
そして間違った言葉を使ってる人のことを考えて指摘するなら、きっと愛情も伝わるから大丈夫だと思う。
それを揚げ足を取るように指摘するようでは言葉を大切にするかどうか以前に人間性に問題がある。
だからそんなのは相手にする必要がないんだ。
そして言葉はやはり何も伝えられない。
このままじゃなんなんで、言葉の良い話も。
奇跡のような会話を体験したことがある。
普通に話をしていたんだけど、いつの間にかダブルミーニングになっていて、そのまま破綻なく会話が続くという。
どちらともなく少しづつ意味が重なっていって、お互い気付いているんだけど会話を止めることなく、2重の意味を保ったまま続いていく。
しばらく話してから「今の会話、すごかったね」と2人で喜ぶという、ね。
きっとお互いの趣味趣向や言葉の理解度が丁度釣り合ったんだと思うけど。
ああいう会話は5回くらいあったかな。
いや、2,3回、、、。
1度はあった、確実に(笑)。
もしかしたら俺以外の人は日常的に体験しているかもしれない、そしたら随分マヌケな文章を書いているわけだけど。
でもあの時の喜びは今でも覚えてる。
きっと脳内麻薬がビュービュー出まくってたに違いない。
こんな会話ができるなら長生きもしてみるもんだなと思った。
言葉自体にパワーはない。
しかしそれを使う人によっては美しく光り輝く場合があるんだ。
だから言葉の可能性を諦めないでほしい。
もう少し。
突き詰めれば人と人は理解しあえないと思う。
でも初めから諦めるのは違うと思う。
時には空しくなるし悲しくもなるが、それでも理解しようと努めること。
それがあらゆるポジティブなものに繋がっているんじゃないかと思うんだよね。
世界平和もこういうところからだと思うんだけど。
相手を想って指摘すれば。
揚げ足をとるのではなくて。
自己利益のためではなく、真実、もしくは相手の想いを汲み取るように。
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