4分33秒
一つ書き忘れたことがあった。
去年を振り返って、のところで「4分33秒」をやったこと。
3月1日のゴールデンピッグスだった。
ジョン・ケージの「4分33秒」。
基本的にピアノで演奏する「無音」の曲だと思ってた。
ピアノのふたを閉じるのがスタートで退席して演奏終了とか。
でもそこは決まり事ではなく、初めて演奏したのがケージの友人のピアニストだっただけで。
そんなことを演奏前に初めて知ったりして。
「無音の曲」ってきっと誰もが思いつくんだけど、この曲だけがここまで有名なのはなんでだろう。
初めて知ったときは「先を越された」と思ったね、まあ子供だったから。
「4分33秒」の譜面は、
I
TACET
II
TACET
III
TACET
と書かれているだけ。
つまり他の規定はないってことだろう、ということで第2楽章は1秒にしてみた。
今思うと、どうせデジタルなんだから960分の1秒とかにすればよかった。
あとは3楽章合わせて4分33秒になるようにして、無音であること。
厳密には作為的に音をたてないこと、自然に発生している音を聞くためにね。
このように演奏に臨んでも、聴いているほうは「何もしない人」を見るのと区別がつかない。
「4分33秒」が曲であり芸術であると証明するためにはジョン・ケージの他の曲や著書に触れたら良いのだけど。
それはそのときのステージだけでは無理だしね。
でも、それでも何もかもひっくるめてくだらない妄想ではない、とは証明しきれないのかもしれない。
じゃあ他の芸術とされているものの価値とはどうなるか。
失念してしまって申し訳ないんだが、たしかアメリカの山の中でGの音を何十年も演奏し続けている活動があったはず。
これはヒッピーの悪ふざけと片付けるのか、どうか。
以前も書いたことがあるけど、俺はビッグバンから宇宙の終息までが巨大な1拍に思えてならない。
ビッグバンから急激に膨張し、収縮し、最後は無になる。
アタックから波形が膨らみ切ってから減衰し最後は無になる。
どこかで「4分33秒」に繋がっていそうな感覚があってね、つい言いたくなるんだけど。
まあ、そんないろんな想いがありまして。
だからライブが近づくにつれて、聴衆がどう反応するかより、いよいよ「4分33秒」を演奏するんだという興奮のほうが大きかった。
結果やってよかった。
賛否両論あった。
それはとても嬉しくて、もし全員褒めてくれたらそれはなんか嘘臭くて。
批判があって当然だ、いやむしろ無かったら不健全だと思う。
大切なのはその後だよ、芸術とは、音楽とは、ゆっくり語り合おうじゃないか。
去年のanomiaの活動で一番興奮したのは「4分33秒」だったな。
去年を振り返って、のところで「4分33秒」をやったこと。
3月1日のゴールデンピッグスだった。
ジョン・ケージの「4分33秒」。
基本的にピアノで演奏する「無音」の曲だと思ってた。
ピアノのふたを閉じるのがスタートで退席して演奏終了とか。
でもそこは決まり事ではなく、初めて演奏したのがケージの友人のピアニストだっただけで。
そんなことを演奏前に初めて知ったりして。
「無音の曲」ってきっと誰もが思いつくんだけど、この曲だけがここまで有名なのはなんでだろう。
初めて知ったときは「先を越された」と思ったね、まあ子供だったから。
「4分33秒」の譜面は、
I
TACET
II
TACET
III
TACET
と書かれているだけ。
つまり他の規定はないってことだろう、ということで第2楽章は1秒にしてみた。
今思うと、どうせデジタルなんだから960分の1秒とかにすればよかった。
あとは3楽章合わせて4分33秒になるようにして、無音であること。
厳密には作為的に音をたてないこと、自然に発生している音を聞くためにね。
このように演奏に臨んでも、聴いているほうは「何もしない人」を見るのと区別がつかない。
「4分33秒」が曲であり芸術であると証明するためにはジョン・ケージの他の曲や著書に触れたら良いのだけど。
それはそのときのステージだけでは無理だしね。
でも、それでも何もかもひっくるめてくだらない妄想ではない、とは証明しきれないのかもしれない。
じゃあ他の芸術とされているものの価値とはどうなるか。
失念してしまって申し訳ないんだが、たしかアメリカの山の中でGの音を何十年も演奏し続けている活動があったはず。
これはヒッピーの悪ふざけと片付けるのか、どうか。
以前も書いたことがあるけど、俺はビッグバンから宇宙の終息までが巨大な1拍に思えてならない。
ビッグバンから急激に膨張し、収縮し、最後は無になる。
アタックから波形が膨らみ切ってから減衰し最後は無になる。
どこかで「4分33秒」に繋がっていそうな感覚があってね、つい言いたくなるんだけど。
まあ、そんないろんな想いがありまして。
だからライブが近づくにつれて、聴衆がどう反応するかより、いよいよ「4分33秒」を演奏するんだという興奮のほうが大きかった。
結果やってよかった。
賛否両論あった。
それはとても嬉しくて、もし全員褒めてくれたらそれはなんか嘘臭くて。
批判があって当然だ、いやむしろ無かったら不健全だと思う。
大切なのはその後だよ、芸術とは、音楽とは、ゆっくり語り合おうじゃないか。
去年のanomiaの活動で一番興奮したのは「4分33秒」だったな。
カテゴリ : 音楽